B'zは1988年に「だからその手を離して」でデビューした男性2人組ロックユニット。90年代に大ブレイクを果たし、以降約30年に渡りヒットシーンを走り続けている。日本レコード協会によれば、これまでにダウンロード売上10万以上を記録した曲は16曲で、認定総ダウンロード売上は310万(歴代35位タイ)となっている。これらのデータをランキング化した表は以下のとおりである。この表をもとにしながら、B'zのヒット史を振り返る。
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1988年-2004年
この期間の楽曲を配信開始日順に並べたダウンロード売上データは以下のとおり。
配信市場は2000年代中盤から後半にかけて拡大・定着していったが、2000年代前半までの過去曲をどのタイミングで配信解禁するかはアーティストそれぞれの判断により異なった。B'zの場合は2005年中に全ての過去楽曲をダウンロード解禁しており、これは比較的早いタイミングでの解禁であった。
そのため、過去の楽曲のうち人気が持続している曲はダウンロードでも解禁以降に多くの売上を積み上げている。
B'zが全盛期を迎えていた90年代の楽曲人気は当時のCD売上に表れており、この時期のB'zの活躍は日本で最も多くのCDセールスを記録したアーティストという称号とともに既に広く知られている。そのため、この時期の楽曲人気を把握するうえではCD売上を中心に見ることになるが、まだ認知が進んでいないダウンロード売上も併せて強調していく。
なお、CD売上は2011年以降、指標が示す中身が変質し、かつての楽曲人気の量から現在ではアーティスト人気の濃度を計るものになっている。将来的にはAKB48にトータルCDセールスNo.1の座を譲ることは(AKB48の体制崩壊でも起きない限り)確実であるが、途中で中身が変質したデータをその変質に触れないまま時代横断的に使用しても何の示唆も得られない。B'zがCD売上が楽曲人気指標だった時代に最も多くのCDセールスを記録したことは揺るがないので、そのような意味のない報道をする機関を批判しつつ泰然と構えていれば良い。
ちなみにAKB48が全盛期に大人気となっていたことはやはり配信ダウンロード売上が証明しており、下記にその偉業をまとめている。
1988年-1989年
B'zは1988年にビーインググループに所属していたギタリスト松本孝弘とボーカリスト稲葉浩志によって結成された。9月に1stシングル「だからその手を離して」、1stアルバム『B'z』の同時発売という形でデビュー。アルバムは33万枚を売り上げたが、これは後のブレイクに沿う形で売れたもので、さすがのB'zもデビュー当初はまだ知名度が乏しく、いきなり売れたわけではなかった。
翌1989年5月には2ndシングル「君の中で踊りたい」と2ndアルバム『OFF THE LOCK』を同時発売。アルバムは60万枚を売り上げたが、これもやはり後のブレイクに沿う形で売れたもので、当初は発売僅か4週で週間TOP100からチャートアウトしていた。1991年になって年間65位に浮上。翌1992年も年間90位に入り、登場週数126週を記録した。
ブレイクのきっかけとなったのは1989年10月に発売された1stミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。初登場は15位だったが、表題曲が有線などを中心にして徐々に支持を広げていき、ブレイクの余波が収まるまでの間に渡り延々と売れ続けた結果、登場週数163週、年間でも1990年29位→1991年26位→1992年87位と推移するとんでもないロングセラーとなった。最終累計は118万枚となったが、週間最高位は1991年に記録した12位で、週間TOP10に入らないままミリオンセラーとなった。他にこの記録を達成した作品はMr.Children『KIND OF LOVE』しかない。
1990年
1990年2月には3rdシングル「LADY-GO-ROUND」と3rdアルバム『BREAK THROUGH』を発売。「BAD COMMUNICATION」の大ヒットで知名度が上昇したこともあり、アルバムは初のTOP10入りとなる週間3位に初登場。その後もやはりブレイクに沿って売れ続け、最終累計72万枚、登場週数124週を記録。年間でも1990年49位→1991年58位と推移した。
ブレイクの兆候を掴んだと見るや1990年はこの後も一気に新作発売を畳みかけ、売上を拡大していった。5月発売の4thシングル「BE THERE」は当時25万枚、後の再発盤との合計で34万枚。6月発売の同5th「太陽のKomachi Angel」は当時38万枚、後の再発盤との合計で46万枚を記録。なお5thで初の週間1位を獲得し、以降今に至るまでシングルは一度も1位を逃したことがなく、49作連続1位を記録している。今でこそ楽曲人気を語る上では使用不可能になったCD売上チャート関連記録だが、この歴代1位記録はほとんどCD売上が楽曲人気指標だった時期で形成されている。
「太陽のKomachi Angel」発売の僅か8日後には、2ndミニアルバム『WICKED BEAT』を発売。既存曲のリメイク4曲を収録した内容だったが、このうち「BAD COMMUNICATION」の英語バージョン「Bad Communication E.Style」は発売前から有線で原曲に代わり流れることも多かったことなどから売上が伸び、登場週数120週、累計111万枚を記録。年間でも1990年21位→1991年30位と推移した。
10月には2枚のシングルを3週間隔で発売。6th「Easy Come, Easy Go!」が当時38万枚、後の再発盤との合計で47万枚。7th「愛しい人よGood Night...」が当時27万枚、後の再発盤との合計で35万枚を記録。翌11月にはこの2曲を収録した4thオリジナルアルバム『RISKY』を発売。登場週数130週、累計169万枚を記録した。達成順では本作が初のアルバムミリオンセラーとなる。年間でも1990年26位→1991年10位→1992年50位と推移。結局この年はシングル5枚、アルバム3枚を発売する超怒濤のリリースラッシュとなった。
1991年 ~「ALONE」「もう一度キスしたかった」が配信でもヒット~
1991年はまず3月に8thシングル「LADY NAVIGATION」を発売し、当時108万枚、後の再発盤との合計で117万枚を記録。これがシングルでは初のミリオンセラーとなった。シングルはここから13作連続でミリオンセラーを記録しており、これもCD売上が楽曲人気指標だった時代においては歴代最多記録となっている。本作はシングル初の年間TOP10入りとなる1991年の年間5位にもなった。
5月には3rdミニアルバム『MARS』を発売。やはり既存曲のリメイクをメインとする収録内容だったが、「LADY NAVIGATION」の英語バージョン「LADY NAVIGATION 〜Cookie & Car Stereo Style〜」や実質的な唯一の新曲「孤独のRunaway」などがセールスを牽引する形で173万枚を記録。年間でも1991年3位→1992年59位と推移した。
10月には9thシングル「ALONE」を発売し、当時104万枚、後の再発盤との合計で112万枚を記録。年間でも1991年10位→1992位56位と推移した。本作は翌11月発売の5thオリジナルアルバム『IN THE LIFE』の先行シングルであり、その性質上、CD売上は前作「LADY NAVIGATION」を僅かに下回っているが、5thアルバムに「LADY NAVIGATION」は未収録となった。アルバムは240万枚を売り上げ、年間でも1992年の2位を獲得。この特大ヒットが「ALONE」の大人気ぶりによって牽引されたことは間違いない。その証拠に、「ALONE」は配信でも2005年に解禁されて以降の積み上げで10万ダウンロードを記録している。発売日順では本曲がダウンロード認定を受けている曲の中では最も古い曲となる。如何に本曲の人気が長期に持続しているかがこのことから読み取れる。
本曲は演奏時間が6分を超える珠玉の大作ロックバラード。キーボードとピアノサウンドで構成されたイントロから醸し出される重厚感や泣きのギターソロ、曲調にマッチした夕陽に佇む一人の男性を描いた歌詞などが大きな支持を受けた。ドラマ「ホテルウーマン」の主題歌としても普及した。
また、『IN THE LIFE』収録のアルバム曲「もう一度キスしたかった」も配信で2005年解禁以降の積み上げで10万ダウンロードを売り上げている。この曲もバラードナンバーで、「ALONE」とどちらをシングル化するかという話があったほどの力作。特にタイアップは付いていないながらも、男女の恋愛関係が時とともに変化する哀愁を描いた歌詞やその情景を引き立てるサビのメロディーが根強い支持を受けた。ファン投票ベストアルバムにも度々顔を出しており、アルバム曲ながら外せない一曲となっている。
1992年 ~「いつかのメリークリスマス」が配信でもヒット~
1992年2月には既存曲のカラオケ音源を集めた『B'z TV Style SONGLESS VERSION』が発売され、23万枚を記録。カラオケアルバムとしては驚異の売上である。
4月には松本孝弘の2ndシングル「1090 ~Thousand Dreams~」が発売され、20万枚を記録。この曲は長寿音楽番組Mステのテーマ曲として一度は聴いたことがあるであろうほどの知名度を獲得している。
同じ5月にはB'zとしても10thシングル「BLOWIN'」を発売し、当時168万枚、後の再発盤との合計で176万枚を記録。年間でも1992年の3位に入る大ヒットとなった。
1992年10月には11thシングル「ZERO」が発売され、当時122万枚、後の再発盤との合計で131万枚を記録。本作は同月発売の6thオリジナルアルバム『RUN』の先行シングルで、その性質上、CD売上は前作「BLOWIN'」を下回ったが、このアルバムに「BLOWIN'」は未収録となった。アルバムは219万枚を売り上げ、年間でも1992年6位→1993年25位と推移。「ZERO」がこの特大ヒットを牽引したと言える。
12月には4thミニアルバム『FRIENDS』を発売。本作は初のコンセプトアルバムとして制作され、全曲がストーリー性を持った新曲で構成された。売上は135万枚を記録し、1993年の年間6位にも入った。大ヒットを牽引したのが収録曲の「いつかのメリークリスマス」で、この曲は配信でも2005年に解禁されて以降の積み上げで25万ダウンロードを記録している。シングルCD表題曲ではないながらも多くの支持を受けて今ではクリスマスの定番バラードとして広く認知されており、その証拠として配信売上も発表日順では自身初めての25万ダウンロード認定を受けている。
1993年 ~「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」が配信でもヒット~
1993年3月には自身最大のヒット曲が誕生。12thシングル「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」が当時193万枚、後の再発盤との合計で202万枚を記録した。12cmCD再発盤は2003年に発売されているため、発売から10年でダブルミリオンを突破したことになる。また、配信でも2005年の解禁以降の積み上げで10万ダウンロードを突破。再発盤の存在が無かったとしてもCDと配信の合計でダブルミリオンを突破している。年間でも1993年の2位を獲得しており、特大ヒットが反映されている。
表題曲は単発3時間ドラマ「西遊記」の主題歌に起用され、このドラマが視聴率26.9%を記録したこともヒットに一役買っている。しかし何よりも長いタイトルのインパクト、それでいてそのタイトルをサビ冒頭の歌詞に据えたことによる覚えやすさ、タイアップにマッチしたオリエンタルな楽曲の雰囲気が支持されたことによる特大ヒットであった。
ただ、ライブでは本人たちが本曲をノリにくい曲と評していることもあり、あまり演奏される機会が無い。そのうえ近年ではB'z一番の代表曲と言えば「ultra soul」であるという空気が醸成されており、本曲は自身最大売上曲でありながらその看板に見合う目立ち方をしていないような印象を受ける。それでも配信売上でしっかり10万ダウンロードを記録していることから、長期に渡り支持されている人気曲であることは間違いない。
この後も1993年6月発売の13thシングル「裸足の女神」が当時165万枚、後の再発盤との合計で173万枚を記録した。なお12cm再発盤は本作までが対象だった。年間では1993年の5位に入っている。
1994年
1994年2月には14thシングル「Don’t Leave Me」が発売され、144万枚のセールスと1994年の4位を記録。本作は同年3月発売の7thオリジナルアルバム『The 7th Blues』の先行シングルで、その性質上、CD売上は前2作を下回ったが、このアルバムには「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」「裸足の女神」ともに未収録となった。アルバムは2枚組で一般受けしにくい楽曲のオンパレードだったが163万枚を売り上げ、年間でも1994年の4位を記録。「Don't Leave Me」がこの大ヒットを牽引した。
11月には15thシングル「MOTEL」が発売され、131万枚を売り上げた。
1995年 ~「LOVE PHANTOM」が配信でもヒット~
1995年も絶好調なセールスが続き、5月発売の16thシングル「ねがい」が149万枚、7月発売の同17th「love me, I love you」が139万枚を記録。
そして10月発売の18th「LOVE PHANTOM」は飛び抜けた人気を獲得した。本作は11月発売の8thオリジナルアルバム『LOOSE』の先行シングルで、これまでの傾向を踏まえれば前作からシングルCD売上は下がると思われるところ、なんと発売1週間で95万枚を売り上げるロケットスタートを記録。これは当時の初動歴代1位記録で、CD売上が楽曲人気指標として機能していた2000年代までを含めても歴代5位の初動売上記録であった。さすがに累計の伸びはアルバム売上に吸われたため惜しくも自身最高セールスには届かなかったがそれでも自身2位の186万枚を記録。アルバムも超特大ヒットとなり、オリジナルアルバムでは自身最大の売上となる300万枚を記録した。
年間順位は「LOVE PHANTOM」が1995年の10位となっているが、これは集計割れを起こしていて、186万枚のうち1995年分の売上として計上されたのは158万枚。残りの28万枚は翌年集計に回ったが、1996年の年間TOP100ボーダーは30万枚だったため、惜しくも2年連続TOP100入りはならなかった。『LOOSE』は300万枚全て1996年分として集計され、1996年の3位に入っている。
ご覧のとおり実質的には「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」より「LOVE PHANTOM」の方が最大ヒットなのでは?と思うだろうが、それを証明するように、配信では2005年の解禁以降の積み上げで25万ダウンロードを記録しており、「愛まま」の10万ダウンロードを上回っている。CDと配信を合計すると「愛まま」が212万、「LOVE PHANTOM」が211万で、僅か1万差。収録アルバムの売上や12cmCD再発盤の有無を考慮すれば実質的に「LOVE PHANTOM」の方が自身最大ヒットであると言ってしまって良いかもしれない。
本曲は海外ドラマ「X-ファイル」日本版主題歌にも起用されたデジタルロックナンバー。ここまでの特大ヒットとなった理由はMステ出演時にタモリが邦楽史上最高傑作と絶賛したほどの楽曲の完成度の高さにある。ストリングスで奏でられた1分を超える壮大なイントロ、転じて一気に畳みかけるサビと息つく間もなく激情の歌詞で紡がれるAメロ、ドラマチックにクライマックスへ導く勢いのあるギターソロ、オペラヴォーカルで盛大に締められるアウトロまで一分の隙も無く作られた本曲は絶大な支持を獲得した。
1996年
1996年は3月発売の19thシングル『ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~/MOVE』が123万枚、5月発売の20thシングル「Real Thing Shakes」が114万枚を記録。特に後者は全英詩のゴリゴリハードロックナンバーで常人男性には歌唱不可能な高音hihiAが飛び出すようなとんでもない曲だったにも拘わらずミリオンセラーが継続した。
同年11月には5thミニアルバム『FRIENDS II』が発売され、144万枚を記録。全曲新曲で構成されており、AOR色の強い実験的な作風になっている。のちにバラードベストにも収録された「SNOW」などが人気となりセールスを牽引した。
1997年
1997年はまず1月に稲葉浩志のソロデビューアルバム『マグマ』が発売された。収録曲は全てノンタイアップで、内容も内省的であったにも拘わらずそのパーソナリティーが支持される形で100万枚を売り上げた。
3月には21stシングル「FIREBALL」が発売され、75万枚をセールス。さすがに2作連続で一般受けしにくいゴリゴリハードロックナンバーが続いたこともあってかここで連続ミリオン記録は途切れた。しかし7月発売の次作「Calling」は100万枚を売り上げ、再びミリオンに乗せた。
なおこの合間の4月には3rdアルバムまでの楽曲を再編集したベストアルバム『Flash Back -B'z Early Special Titles-』が本人非公認で発売されており、99万枚を売り上げている。
10月には23rdシングル「Liar! Liar!」が発売され、79万枚を記録。11月にはこの年発売された3枚のシングルを収録した9thオリジナルアルバム『SURVIVE』が発売され、172万枚を記録した。年間でも1998年の10位に入っている。
1998年
1998年はまず4月に24thシングル「さまよえる蒼い弾丸」が発売され、69万枚を記録。
そして5月には自身初の公認ベストアルバム『B'z The Best "Pleasure"』が10周年記念で発売された。10年間のヒットシングルを厳選してCD1枚に収めているこのベストアルバムは待望の一作として爆発的な売上を記録。初動270万枚、累計513万枚を売り上げ、何れも当時歴代1位の数字を叩き出した。現在では初動売上は歴代3位、累計売上では歴代2位となっている。年間でも1998年の1位を記録した。
ここまでの天文学的ヒットとなった背景には、前年にGLAYのベストアルバムが400万枚以上のセールスを記録したことを機にベスト盤ブームが訪れていたこと、B'zがこれまでアルバムの雰囲気に合わないシングルを容赦なく未収録にしていたことでアルバム初収録となったシングルが多かったこと、3次までの生産段階ごとにジグソーパズルやポストカードセットなどの異なる特典を付けていたことなどが挙げられる。
しかしCD1枚だけではとてもこれまでのB'zのヒットシングル全てを網羅できなかったため、収録曲に関する要望が殺到することとなった。そこで、それらの声に応える形で9月にファン投票ベスト『B'z The Best "Treasure"』を発売。収録曲はファン投票ベストとは思えないほどヒットシングルや人気アルバム曲・c/w曲のオンパレードとなったため、『Pleasure』に匹敵する爆発的な売上となり、初動250万枚、累計443万枚を売り上げた。この累計売上も歴代5位の記録となる。年間では『Pleasure』に次いで1998年の2位となり、ワンツーフィニッシュを達成した。
合間の7月には25thシングル「HOME」が発売され、96万枚を記録。表題曲は上記2枚のベストアルバムには収録されなかったが、『Treasure』の隠しトラックとして本曲の1コーラスアコースティックバージョンが収録されている。
年末の12月には稲葉浩志のソロ1stシングル「遠くまで」が発売され、66万枚を記録した。
1999年
1999年6月には26枚目のシングル「ギリギリchop」を発売し、80万枚を記録。本作を収録した10thオリジナルアルバム『Brotherhood』も7月に発売され、139万枚を売り上げた。
2000年 ~「今夜月の見える丘に」が配信でもヒット~
2000年はまず2月に27thシングル「今夜月の見える丘に」を発売し、112万枚を記録。シングルでは「Calling」以来約3年ぶりのミリオンセラーとなった。年間でも2000年の8位に入り、「LOVE PHANTOM」以来5年ぶりの年間TOP10入り。配信では2005年の解禁以降の積み上げで10万ダウンロードを記録。明らかに前後作品比頭一つ抜けた大ヒット曲になっている。
この大ヒットの背景には、表題曲が最高視聴率41.3%を記録した歴史的ヒットドラマ「ビューティフルライフ」の主題歌に起用されたことが挙げられる。楽曲も王道のロックバラードになっており、マンドリンが使用された印象的なイントロとアウトロ、恋愛関係にある相手のことをもっと知りたいという心情を比喩表現した歌詞、その情景を引き立てる間奏のギターソロなどが強く支持された。
なおシングルCDでのミリオンセラーは本作が最後。通算15作のシングルCDミリオンはCD売上が楽曲人気指標として機能していた時代においては歴代1位記録である。この後21世紀に入ると、音楽の聴き方が配信に移行していくため、楽曲人気はCD売上ではなく配信売上に表れるようになっていく。B'zもこの後、CDではなく配信でミリオンセラーを出していくことになる。
同月にはB'z初の裏ベストアルバム『B'z The "Mixture"』を発売し、149万枚を記録。年間でも2000年の8位に入った。本作にはこれまでのc/w曲や初期音源を、一部の曲はリミックスしたうえで収録している。デビュー曲をよりハードロックにアレンジした「だからその手を離して -Mixture style-」は「今夜月の見える丘に」のc/wに先行収録されるなど話題となり、売上を牽引した。
2000年はこの後も3枚のシングルを発売。5月発売の28th「May」が69万枚、7月発売の29th「juice」が67万枚、10月発売の30th「RING」が54万枚を売り上げた。12月にはここまでの4枚のシングルを収録した11thオリジナルアルバム『ELEVEN』が発売され、113万枚を記録した。
2001年 ~「ultra soul」が配信でもヒット~
2001年3月には31stシングル「ultra soul」が発売され、87万枚を記録。2001年からはCD不況に突入し、以降数年は配信市場が拡大するまでの過渡期となり業界全体でCD売上は減少した。この背景を踏まえれば、CDミリオンには達していないとはいえ前後作品比で大きく上回る売上を記録している本作は頭一つ抜けた人気になっていることが分かる。
その証拠に、配信でも2005年の解禁以降の積み上げで25万ダウンロードを売り上げている。CDと合計した数字は112万となり、実質的なミリオンセラーと言ってしまっても差し支えないかもしれない。ちなみに2004年までのシングル表題曲で25万ダウンロードとなっているのは本曲と「LOVE PHANTOM」だけである。
現在、本曲の実態人気としては自身最大級となっていて、B'zと言えば90年代のヒットシングルを差し置いて真っ先にこの曲が上がるような状況になっている。2010年代以降普及した大型音楽フェスに時折出演する際もこの曲は定番披露され、一番の盛り上がりを見せている。
ここまでの人気になっている理由は、タイトルのとおりウルトラソウルというインパクト大のワードがサビの締めのシャウトに使われていることで、一聴しただけでも覚えない方が難しいほどの親しみやすさを有していることにある。汎用性も非常に高いため、TVやラジオなど各所でサビ締めのフレーズが流用されていることも本曲の普及を後押しした。また、当時のタイアップで「世界水泳福岡2001」大会公式テーマソングとしての起用もされ、その後も度々水泳のタイアップに使用されているため、世界水泳と言えばこの曲という状況が出来上がっている。
このとおり分かりやすさがB'z史上でも群を抜いている本曲であるが、実は歌詞は悩み抜かれた末に出来上がっており、TVで公開された稲葉浩志の歌詞メモを見ると、ウルトラソウルというワードもいくつかのボツワードを経て作られたことが分かる。全体的な歌詞の内容も自らを奮い立たせるようなものになっていて、キャッチーさと裏腹に葛藤が表現されており、これも本曲の魅力である。何かに挑戦する自らを鼓舞するために聴くも良し、ストレス解消に頭を空っぽにしてライブで皆でウルトラソウッ!ハァーイ!と跳び上がるのも良し。
2001年はこの後も8月発売の32ndシングル「GOLD」が56万枚を記録した。
2002年
2002年6月には33枚目のシングル「熱き鼓動の果て」を発売し、50万枚を記録。翌7月には12thオリジナルアルバム『GREEN』を発売し、113万枚を売り上げて2002年の年間7位に入った。
10月には稲葉浩志のソロ2ndオリジナルアルバム『志庵』が発売。特に先行シングルの発売もなかったが46万枚を売り上げた。
12月には自身初のバラードベストアルバム『The Ballads ~Love & B'z~』を発売。「いつかのメリークリスマス」などにスポットを当てた本作は季節的なマッチもあって171万枚を売り上げるビッグセールスを記録。年間でも2003年の3位に入った。
2003年
2003年3月には34thシングル「IT'S SHOWTIME!!」を発売し、42万枚を記録。このシングル発売と同じタイミングで、デビュー15周年を記念して4th~13thシングルの12cmCD化再発売が行われた。その結果として発売週のCD売上チャートTOP10のうち9曲がB'zで埋められるという伝説が作られた。デイリーチャートではTOP10独占も達成されている。
6月には稲葉浩志のソロ2ndシングル『KI』が発売され、27万枚を記録。
7月にはB'zとして35枚目のシングル「野性のENERGY」を発売し、30万枚を記録。9月にはこの年の2枚のシングルを収録した13thオリジナルアルバム『BIG MACHINE』を発売し、74万枚を売り上げた。CD不況の加速によりオリジナルアルバムの連続ミリオンセラーは本作で途絶えている。
8月からは松本孝弘のソロプロジェクトが展開され、ボーカルにZARDを迎え、TAK MATSUMOTO featuring ZARD名義で久保田早紀の大ヒット曲「異邦人」のカバーをシングル発売。15万枚を記録した。11月には本曲も収録した6thオリジナルアルバム『THE HIT PARADE』がTAK MATSUMOTO名義で発売され、45万枚を記録。ソロでは自身最大のアルバムセールスとなった。
2004年
2004年に入ってからもソロ活動がメインとなった。6月には松本孝弘によるバンドプロジェクトTMGによりアルバム『TMG I』が発売され、15万枚を記録。稲葉浩志もソロ3rdシングル「Wonderland」を7月に発売し、22万枚を記録。続けて3rdオリジナルアルバム『Peace Of Mind』を9月に発売し、29万枚を売り上げている。
合間にはB'zとしてのシングルも発売され、5月発売の36th「BANZAI」が28万枚、9月発売の37th「ARIGATO」が25万枚を記録した。
2005年以降
2005年以降は配信市場が本格的に拡大していったため、楽曲人気を計る上でCD売上だけでは不足するようになり、配信売上と併せてヒットを計ることが必須となった。しかし実際には配信売上がなかなか注目されなかったため、高配信売上曲の楽曲人気過小評価が頻発する時代になっていく。B'zの場合は盤石のCD売上基盤を有していたため過小評価されることはあまり無かったが、それでもこの時期大人気となった曲はCDを上回る配信売上になっているので、適切な楽曲人気の絶対評価をするうえではやはり必須データとなる。
この期間の楽曲を配信開始日順に並べたダウンロード売上データは以下のとおり。
2005年 ~「OCEAN」が配信でもヒット~
2005年はまず3月に38thシングル「愛のバクダン」を発売し、29万枚を記録。4月には本曲を収録した14thオリジナルアルバム『THE CIRCLE』を発売し、55万枚を売り上げた。
8月には頭一つ抜けたヒット曲が誕生した。39thシングル表題曲として発売された「OCEAN」はCD50万枚、配信25万ダウンロードを記録。参考までに合計すれば75万となる。CD売上の年間では2005年の7位に入り、「今夜月の見える丘に」以来5年ぶりの年間TOP10入りを果たした。
本曲は最高視聴率17.8%を記録したドラマ「海猿 UMIZARU EVOLUTION」主題歌に起用されたことで広く普及した。楽曲は王道ロックバラードになっていて、固く結ばれた愛情とそれを生涯離さないという誓いを描いた歌詞がドラマにマッチしていたことで多くの感動を呼び起こした。
11月には、1998年に発売され歴史的ヒットとなったベスト2枚の続編『B'z The Best "Pleasure II"』を発売。前作以降のヒットシングルを網羅していたことや、直前の「OCEAN」のヒットもあり、119万枚を売り上げて久々のアルバムミリオンセラーとなった。年間でも2006年の5位を獲得した。
2006年 ~「衝動」が配信でもヒット~
2006年は3枚のシングルを発売。このうち1月発売の40thシングル「衝動」はCD30万枚を売り上げただけでなく、配信でも10万ダウンロードを売り上げた。本曲はアニメ「名探偵コナン」のオープニングテーマとしても支持された。
この後も4月発売の41st「ゆるぎないものひとつ」が23万枚、6月発売の42nd「SPLASH!」が33万枚を記録。同月には「OCEAN」以降のヒットシングルを収録した15thオリジナルアルバム『MONSTER』を発売し、53万枚を記録した。
2007年
2007年は5月発売の43rdシングル「永遠の翼」が20万枚、10月発売の同44th「SUPER LOVE SONG」が23万枚を記録。11月にはこの2枚を収録した16thオリジナルアルバム『ACTION』が発売され、44万枚を記録した。
2008年 ~「いつかまたここで」が配信でヒット~
デビュー20周年となった2008年はまず4月に45thシングル「BURN -フメツノフェイス-」を発売し、19万枚をセールス。
そして6月には20周年記念ベストアルバム『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』を発売。20年間のヒットシングルを2枚組CDにまとめた本作はB'z入門の決定版とされ、98万枚を売り上げた。この年から開始した新たな音楽アルバムチャートBillboard JAPAN Top Albums Salesでは2008年の5位を獲得した。
ただ、CD2枚でも20年間のヒット曲を網羅するには足りないため、10周年ベストと同様にファン投票ベスト『B'z The Best "ULTRA Treasure"』が9月に発売され、61万枚を記録した。本作には新曲も収録されたが、そのうち「いつかまたここで」が10万ダウンロードを記録している。このベストアルバムはライブDVD付属盤と新曲「いつかまたここで」収録CD付属盤の2種類で販売されたので、CDではDVD付属盤を購入し、「いつかまたここで」を配信購入で済ませた人も多かったのかもしれない。それでも、20周年の感謝を歌う本曲が支持されたことで10万ダウンロードの売上が立ったことは間違いない。
2009年 ~「イチブトゼンブ」配信ミリオン~
2009年には久々の大ヒット曲が誕生した。8月に発売された46thシングル『イチブトゼンブ/DIVE』の1曲目に収録された「イチブトゼンブ」は最高視聴率17.5%を記録した月9ドラマ「ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜」に起用されたことで広く普及し、長きに渡り配信売上を積み上げ続けた結果、発売1年5ヶ月後の2011年1月に自身初の配信ミリオンを突破した(着うたフル75万+PC配信25万)。
本曲は爽やかさ溢れるミディアムロックナンバー。「ブザー・ビート」は山下智久と北川景子による恋愛ドラマで、時にはすれ違いながらも距離を縮めていく内容は視聴者の共感を呼んでいた。そこに本曲の愛し抜けるポイントが一つあればいいというメッセージ性のある歌詞が流れたことで楽曲への共感も集まった。主人公がバスケットボールをプレイする爽やかなシーンも多く、そこにもトレモロ奏法による小気味良いイントロがマッチした。
CD売上は37万枚となり、年間では2009年の6位を獲得。「OCEAN」以来の年間TOP10入りを果たした。ただ、配信売上を加えた音楽チャートがあれば、より体感人気に近い、もっと大きな数字で出ていたであろうと考えると、配信売上チャートが当時存在しなかったことは本当に残念である。2000年代終盤は既にCD売上だけで楽曲人気を計ることは不可能になっていた。
しかし、CD売上だけのチャートよりも楽曲人気実態に近い音楽チャートはこの頃から存在していた。Billboard JAPAN Hot 100である。2008年から始まったこのチャートは楽曲人気を可視化することを目的に作られ、集計方法の試行錯誤を経ながら、2020年現在では国内で唯一無二の総合楽曲人気チャートとして確かな信頼を獲得している。このチャートにおいて、「イチブトゼンブ」は2週連続1位を獲得しただけでなく、なんと2009年の年間1位にも輝いている。
当時のビルボードの集計対象指標はCD売上枚数とラジオエアプレイ数で、まだダウンロード売上は集計対象にできていなかった。それでも、ラジオエアプレイ数が配信売上の代わりに楽曲人気を拾い上げることに成功し、配信ミリオンとなるほどの「イチブトゼンブ」の人気を音楽チャートに反映させることに成功した。当時はまだ指数が非公開だったものの、年間1位という順位だけでも本曲の大人気を表すには十分であった。
なおB'zはアルバムでは1998年に『B'z The Best "Pleasure"』で年間1位を獲得しているが、意外にもシングルではこれまで年間1位を獲得したことがなく、楽曲単位のチャートでは自身初の年間1位ということになった。
また、「イチブトゼンブ」の両A面で収録された「DIVE」も配信で10万ダウンロードを記録。46thシングル収録曲は2曲とも配信市場を開拓し、これまでにない人気の広がりを見せる結果となった。
10月には47thシングル「MY LONELY TOWN」を発売し、23万枚を記録。11月にはこの年のヒットシングルを収録した17thシングル『MAGIC』を発売し、48万枚を売り上げた。Billboard JAPAN Top Albums Salesの年間では翌2010年の10位に入っている。まさに大活躍の一年となった。
2010年
2010年は初めてB'zとしての新作発売がない一年となり、ソロ活動がメインに展開された。このうち稲葉浩志のソロ4thシングル「Okay」が13万枚、4thアルバム『Hadou』が17万枚を売り上げている。
2011年- ~全英詩リメイクや「兵、走る」の配信ヒット~
2011年以降は、シングルCD売上の楽曲人気指標としての機能が完全に無くなった。そのため、楽曲人気を取り上げることを目的とするこのブログでも、0か100かで考え、2011年以降のシングルCD売上は原則誰であっても一切言及しない。ダウンロード売上やMV再生数など、シングルCD以外の指標を活用して楽曲人気を計ることを試みる。
2011年は7月に18thオリジナルアルバム『C'mon』が発売され、38万枚を記録。このヒットを牽引した曲を探ると、表題ナンバー「C'mon」がMV再生数においてなんと「ultra soul」に次ぐ自身2位の再生数となる800万再生を記録している。この曲はB'zにしては珍しくMVがフルバージョンでアップされており、その点も考慮に入れる必要はあるが、この曲の人気がアルバム売上を牽引したと見做すことは十分可能だろう。
2012年は配信限定アルバム『B'z』が発売され、そこからのナンバーが次々と10万ダウンロードのヒットを飛ばした。このアルバムは同年開催された全米ツアーに向けたリード作で、過去曲の英詩リメイクがメインになっている。「さまよえる蒼い弾丸」のリメイク「Into Free -Dangan-」、「愛のバクダン」のリメイク「Love Bomb」、そして「ultra soul」の英詩バージョンの合計3曲が10万ダウンロードを売り上げた。
2013年は自身初のシングルコレクション『B'z The Best XXV 1988-1998』『B'z The Best XXV 1999-2012』の2枚を6月に同時発売。前者が58万枚、後者が57万枚を売り上げ、Billboard JAPAN Top Albums Salesの年間でも2013年の4位と5位に入った。
2014年は稲葉浩志のソロ5thオリジナルアルバム『Singing Bird』が5月に発売され、10万枚を記録した。収録曲のMV再生数では「念書」が100万再生でトップになっている。
2015年は3月にB'zとして19枚目のオリジナルアルバム『EPIC DAY』を発売し、29万枚を記録。Billboard JAPAN Top Albums Salesの年間でも2015年の8位に入った。収録曲でダウンロード認定を受けた曲はないが、先行シングル「有頂天」でMVが制作され、MV再生数を稼いでいる。
2017年は11月に20thオリジナルアルバム『DINASOUR』を発売し、27万枚を記録。総合アルバムチャートBillboard JAPAN Hot Albumsの年間でも翌2018年の10位に入った。収録曲でダウンロード認定を受けた曲はないが、リード曲「CHAMP」でMVが制作され、フルバージョンがYouTubeにアップされている。数少ないフルMVということでこの曲が現在収録曲中最大となるMV500万再生を記録している。
2019年は5月に21stオリジナルアルバム『NEW LOVE』を発売し、27万枚を記録した。収録曲では、リード曲「兵、走る」が久々に配信10万ダウンロードを記録している。本曲は大正製薬「リポビタンD」ラグビー日本代表応援CMソングに起用された。ラグビーワールドカップで日本代表が快進撃を見せたことで国内はラグビーブームが到来。各試合の生中継は大きな注目を集め、特に準々決勝の対南アフリカ戦は歴史的な視聴率41.9%を記録。この合間に本CMが大量OAされたため、楽曲が普及し、久々の高配信売上となった。本曲の人気がアルバム売上を牽引したことは間違いない。
まとめ
ご覧のとおりB'zは30年に渡りヒット曲を輩出し続けている。その人気は前半ではCD売上で分かりやすく表れているが、後半も配信売上やCDアルバムの年間チャートにおける高順位の維持に人気が表れていた。その結果としてCDセールス国内歴代1位、配信でも歴代33位タイという高水準の記録が作られているが、この記録は人気曲を多く作るというだけでなく、シンプルに多くの新作を出し続けなければ成し得ない。ここではソロ活動のヒットも網羅したが、見て分かるとおり一度も止まることなく、ほとんど休むことなく、新作を出し続けていた。LIVE-GYMと冠したエネルギッシュなライブパフォーマンスを30年間続けていることもそうだが、常人離れした凄い体力である。これが大記録を裏で支えている秘訣と言えるだろう。
ここで紹介した曲を手っ取り早く入手する方法は数多く存在する。比較的ベストアルバムは惜しみなく出してくれているので、どれを選ぶかという話になるが、最低でも「イチブトゼンブ」を収録した唯一のベストアルバムである『B'z The Best XXV 1999-2012』は外せない。
次いで1998年以前の楽曲をどう入手するかだが、やはり当時のベストアルバム『B'z The Best "Pleasure"』『B'z The Best "Treasure"』のヒット曲の網羅性がほぼパーフェクトなので、この2枚を推薦する。
この3枚のアルバムを選択することで生じるほぼ唯一の難点は「HOME」のフル音源が手に入らないことだが、これを補いたければ、『B'z The Best "Pleasure II"』を入手すると良い。このベストアルバムは実質的に『B'z The Best XXV 1999-2012』のDisc1に「HOME」を加えただけの内容なので、Disc1だけはこれに置き換えてしまえば良いというわけだ。
以上ができるだけ少ないDisc数でB'zのヒット曲を美味しいとこ取りする方法としてここで提示するものである。この方法で、シングルCD及び配信で50万以上を記録している曲は全て、最低Disc数4枚にて完全網羅できる。
この記事で紹介したダウンロードデータは日本レコード協会HP内の下記サイトで検索することができる。新たな発見の宝庫なので、時間があれば好きな曲やアーティストのダウンロード数を検索してみることをおすすめする。